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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

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『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』

九州最西端に位置する140あまりの島々が成す五島列島。その魅力のひとつが素朴な教会群。教会の多くは今なお信者の方々が通う、現役の教会として使われており、五島列島に住む人々の生活と教会が如何に密接に関わっているのかを、強く感じることが出来ます。
教会建設の費用には、生活を切り詰め、家財を売った私財が使われました。それ故、規模も小さく、ステンドグラスの代わりにガラスに手書きで色を付け、装飾された柱の代わりに手書きで木目を描くことで費用を抑えながらも様々な工夫を施し、これまで決して認められることがなかった、自分たちだけの祈りの場を作り上げました。

※五島市の構成資産は、久賀島の集落と奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)です。

構成遺産その1 久賀島の集落

鬼岳展望台星空  イメージ

久賀(ひさか)島は、下五島の中心である福江島の北に位置する。1566年、五島でキリスト教布教が始まり、久賀島にも信者が多かったが、禁教令によってキリシタンは途絶えた。1797年以降、五島には外海(※1)の潜伏キリシタンが移住し、久賀島でも再びキリシタン集落ができる。

信徒発見後、浦上キリシタンに対する迫害「浦上四番崩れ」が起るが、五島でも明治元年(1868)9月以降「五島崩れ」が吹き荒れた。そのきっかけは久賀島で、信仰を表明すると200人余が6坪ほどの牢屋に8ヵ月間閉じ込められ、子どもを含む42人が死亡した。

やがて禁教が解かれ、1880年になるとマルマン神父が下五島に常駐し、各地に教会を建てた。久賀島では1881年に浜脇教会が建てられ、1931年に五輪教会として移築された。そして半世紀が経ち、傷んだ五輪教会を取り壊して跡地に新教会を造ることになったが、解体寸前、貴重な文化財を守ろうとの声が起こり、新教会は横に造られた。旧教会は、瓦葺木造ながらリブ・ヴォールト天井があり、初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定された。

鬼岳展望台星空  イメージ

構成遺産その2 奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)

真の大自然の星空にとけ込むひとときを。

緑に囲まれた可愛い教会はアイボリーの壁、ブルーの格子窓、海の青と空の青に美しく映える。
 江上天主堂の歴史は、江戸時代末期の1797年に大村藩領外海(そとめ)から移住してきた潜伏キリシタンの4家族が住み着き、1881年3月にカトリックに復帰(復活キリシタン)したことから始まる。
その後、40~50世帯だった集落の信徒たちが「キビナゴ漁」で建設資金を蓄え、教会敷地は自分たちで開墾、根を掘り起こし抜根して造成した。
建築・設計・施工は名工と誉れ高い鉄川与助が請負1917年に着工、翌年完成させた。
日本を代表する木造教会として2008年に重要文化財に指定されている。

柱には木目模様、窓は信徒の手書きの絵模様が施され、素朴さと信仰の深さが98年を経た今も伝わる。
 小規模ながら鉄川与助の代表作とも言える教会外部には緑豊かな江上集落に映えるような色使いを施し、天主堂内部はリブ・ウォール天井(アーチ型で強度を高める教会建築に代表される工法の一種)、柱は防腐剤や防水性を高めるためにベンガラを塗りその上から木目を描いて仕上げている。ステンドグラスも高価な輸入品を購入できなかったため、透明ガラスに信徒自らが手書きで花などの絵を書いて彩を沿えている。

遣唐使船の風待ち港としても名高い奈留島(なるしま)。
 江上天主堂がある奈留島は島の形が八つ手の葉のようになり、いくつもの入り江がある。そのため遣唐使船の時代から「風待ち港」として有名。漁業の島として最盛期は8,000人余の人口が現在は約2,500人に。教会がある江上地区も過疎化の一途をたどり、地域の小学校も閉鎖され、教会がひっそりと佇んでいる。

真の大自然の星空にとけ込むひとときを。